
僕がデザインしたマレーヴィチ風の意匠
説明と足し算をすべて削ぎ落としたときに現れるもの
若い頃、僕は百貨店やショップのディスプレイなどを手がけるデザイナーの仕事をしていました。
どこの美術館だったのか記憶が少し定かではないのですが、たしか西武百貨店の美術館(セゾン美術館)だったと思う。
そこで出逢ったある作品に、僕は強烈に目を奪われました。
白い空間に浮かぶ、黒い正方形と、少し傾いた赤い正方形。
ロシア・アヴァンギャルドを牽引した画家、カジミール・マレーヴィチの作品でした。
そのときの僕は、「高尚なアート」や「深遠な芸術」としてそれを受け止めたわけではありません。デザイナーとしての直感で、ただひたすらに「うわ、なんだこれ、めちゃくちゃカッコいいデザインだな!」と痺れたのです。
幾何学的な純粋さ、研ぎ澄まされた緊張感、そして無駄を極限まで排除した潔さ。
その出逢いをきっかけに、僕はマレーヴィチをはじめとするロシア・アヴァンギャルドのデザインが大好きになりました。
ずっと後になって美術史を学び、マレーヴィチがどんな時代背景の中で、どんな思想を込めてこの四角形を描いたのかを知ったとき、「かっこいい」の奥にあった凄まじい覚悟に再び鳥肌が立ちました。
今でもそのシンプルでクールな佇まいが好きで、以前エクスマのオリジナルTシャツを作ったときにも、このマレーヴィチのデザインをオマージュして胸元にレイアウトしたほどです(ロシア語のキリル文字と、物理の方程式のような数式を添えて、自分なりのアヴァンギャルドを形にしてみました)。

けれど、100年前のロシアで彼がこの「四角形」を世に突きつけたとき、世界は「かっこいい」と賞賛するどころか、言葉を失い、激しい怒りと戸惑いに包まれました。
神聖な「部屋の角」に掛けられた、真っ黒な四角形
1915年、ロシアのペトログラードで開催された前衛美術展「0.10(ゼロ・テン)」。
会場に足を踏み入れた人々を凍りつかせたのは、白い正方形の真ん中に、ただ真っ黒な正方形がひとつ描かれただけのキャンバスでした。
人物もいない。風景も、花も、物語もない。巧みな筆のタッチすら見当たらない。
タイトルは、そのまんま『黒の正方形』。

マレーヴィチが描いた「黒い四角」
しかも、その展示場所が決定的なスキャンダルを引き起こしました。
マレーヴィチはこの絵を、通常の壁ではなく、天井近くの部屋の「角(コーナー)」に斜めに立てかけて飾ったのです。
当時のロシアの伝統的な家屋において、部屋の角の天井近くとは「イコン(聖像画)」を安置する最も神聖な特等席でした。
そこに、キリストや聖母マリアの代わりに、ただの「真っ黒な四角」が鎮座している。
保守的な批評家や民衆は大激怒しました。
「これは芸術の死だ」
「絵画の墓場だ」
「悪魔の冒涜だ」
激しい批判を浴びながら、マレーヴィチ本人は平然とこう言い放ちました。
「私は自らをゼロの形式に変貌させた。何もないところから、新しい創造が始まるのだ」
彼はこの表現を「シュプレマティスム(絶対主義)」と名付けました。
これまでの絵画は、神話や歴史、現実の風景といった「外界の何か」を説明し、模倣するための従属物にすぎなかった。
その説明や描写をすべて極限まで削ぎ落とし、純粋な色と形そのものの感覚だけを残したとき、絵画は初めて完全な自由を手に入れるのだ、と。
第一次世界大戦とロシア革命という、古い帝政と既成の価値観が根底から崩壊していく激動の時代。
マレーヴィチは、過去のルールをすべて「ゼロ」にリセットし、究極のミニマリズムを世界に突きつけたのです。
「足し算」ばかりで、息苦しくなっていませんか?
僕がデザイナー時代に衝撃を受けたあのクールな四角形、そしてマレーヴィチが起こしたゼロへの革命を思い出すとき、ビジネスの現場で僕たちが陥りがちな「ある悪癖」に気づかされます。
それは、「不安になればなるほど、あれもこれもと足し算してしまう」ということです。
・自信がないから、商品の特徴や機能を10個も20個もカタログに並べてしまう
・伝わらないのが怖いから、チラシやWebサイトを細かい文字と過剰な説明で埋め尽くしてしまう
・「他社がやっているから」と、似たようなオプションやサービスを次々に追加してしまう
ビジネスの現場では、何かを「足す」ことはとても簡単です。
「これもできます」「あれも付けました」と言えば、一見すると親切でお得に見えるし、社内の稟議も通りやすい。
誰からも「手抜きだ」と減点される心配もありません。
けれど、そうやって足し算を重ねた結果、出来上がるものはどうでしょう。
「結局、何が一番の価値なのか分からない」
「説明が多すぎて、読む気も起きない」
「便利そうだけど、心がまったく動かない」
過剰な説明や装飾で飾り立てられたビジネスは、ノイズが多すぎて、本当に届けたいはずの想いや本質が完全に埋もれてしまうのです。
「何をやらないか」を決める勇気
マレーヴィチがキャンバスからすべての具象表現を剥ぎ取ったように、いま僕たちに必要なのは、勇気ある「引き算」です。
- この商品で、お客さんに届けたい「たったひとつの感情」は何だろう?
- もし自社のサービスから、余計なオプションや言い訳を全部削ぎ落としたら、最後に何が残るだろう?
- 誰にでも伝わるように長々と説明するのをやめて、削りに削った一行の言葉や、シンプルな世界観で勝負できないだろうか?
「何をするか」を決めること以上に、「何をやらないか」を固く決意すること。
余計な飾りを削ぎ落としていく作業は、とても勇気が要ります。
自分の弱点や本質が、剥き出しになってしまうからです。
でも、装飾をすべて脱ぎ捨てて、最後に残った「たったひとつの黒い正方形(コア)」こそが、他人が決して真似できないあなたの純度100%の旗印になります。
僕があのTシャツを作ったときのように、余計な言葉を並べ立てるのではなく、研ぎ澄まされた色や形、そして自分たちの思想だけを潔く差し出してみる。
ノイズに満ちた現代だからこそ、余計な説明を捨て、純度の高い本質だけを差し出すビジネスが、人々の目に圧倒的な存在感として焼きつきます。
あなたのビジネスキャンバスから、余計な足し算を削ぎ落としてみる。
ゼロの静寂の中にこそ、本当に強いブランドの輪郭が立ち現れるのです。
- 次回予告:
第10話『音楽を色に変えようとした、カンディンスキーの直感』
数字や論理という言語を超えて、相手の「五感」に直接語りかけるビジネスへ。
藤村 正宏
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