
マティス展で買ったTシャツ
空気を読んで周囲に合わせるのをやめたとき、あなただけの「原色」が目を覚ます
アンリ・マティスは、僕がずっと大好きな画家のひとりです。
そして「マティス」と聞くたびに、今でもクスッと笑ってしまう強烈な思い出があります。
数年前の夏、上野公園にある東京都美術館で開催されていた『マティス展』を、僕の塾生さんたちと一緒に観に行く約束をしていました。
上野駅の近くの地下駐車場に車を停めて地上に出ると、少し雨がパラついていた夕方のことでした。
「まあ、これくらいの小雨ならジャケットも羽織っているし大丈夫だろう」
そう思って、車の中に置いてあった傘を取りに戻るのを横着したのが運の尽きでした。
上野駅のパンダ橋を渡り、公園に差し掛かったその瞬間、空が割れたかのような凄まじいゲリラ豪雨に襲われたのです。
前も見えないほどの土砂降りの中、方向感覚まで狂って上野公園の中で迷ってしまい、ようやく待ち合わせ場所だった東京都美術館のロビーに転がり込んだときには――文字通り、Tシャツとジーンズのままプールに飛び込んだような、絵に描いたようなずぶ濡れ状態。
ロビーで待っていた塾生さんたちからは、当然のごとく大爆笑されました。
「スコット、一体どこで泳いできたんですか!?」と。
けれど、このびしょ濡れのままでは冷房の効いた展示室に入ることもできません。
そこで慌てて美術館のショップへ駆け込み、マティスのTシャツを2枚買いました。
ひとつは輪になって踊る人々を描いた有名な『ダンス』、もうひとつは鮮烈な色彩が美しい『金魚』の絵がプリントされたTシャツです。
トイレで急いで着替えてロビーに戻ると、なんだか妙に嬉しくて、誇らしいような気分になっていました。
災難だったはずの豪雨が、一瞬で忘れられない楽しい夏の思い出に塗り変わった瞬間でした。そのときに買ったマティスTシャツは、今でも夏になるとヘビロテで着倒している、僕の大のお気に入りです。
そんな僕たちを無条件にワクワクさせてくれるマティスですが、彼の絵が世に現れたとき、世界はまったく違う反応を示しました。
人々は楽しむどころか、恐怖し、激怒したのです。
原色の嵐に、人々が「野獣だ!」と叫んだ日
1905年、秋のパリ。
前衛的な芸術家たちが集まる展覧会「サロン・ドートンヌ」の第7室に足を踏み入れた人々は、一様に足を止め、息を呑み、そして激しい拒絶反応を示しました。
そこに並んでいたのは、およそ当時の「常識」では考えられない色彩の嵐でした。
女性の顔の真ん中に、太く引かれた一本の緑色の筋。
木々の幹は真っ赤に燃え上がり、草地は目の覚めるような黄色、空は濃密なコバルトブルー。
現実の風景の光と影を丁寧に再現するどころか、絵の具のチューブから絞り出した原色そのものが、荒々しい筆致でキャンバスの上に衝突し合っていたのです。
部屋の中央には、ルネサンス風の可憐で優雅な大理石の少年像が置かれていました。
その光景を見た美術批評家ルイ・ヴォークセルは、新聞の批評欄にこう書き殴りました。
「野獣(フォーヴ)の群れに囲まれた、ドナテッロのようだ」
「フォーヴィスム(野獣派)」という名前が誕生した瞬間です。
世間の反応は冷酷そのものでした。「狂人の落書きだ」「観客の顔にペンキの壷を投げつけたような暴挙だ」と嘲笑と罵声が浴びせられました。
この過激な野獣たちの中心にいたのが、マティスでした。
当時のマティスは決して若気の至りで暴れていたわけではありません。すでに30代半ばを過ぎ、古典絵画の模写や点描画など、あらゆる技法を試し尽くした末の決断でした。
マティスは、こう考えたのです。
「なぜ、木は茶色で、葉は緑で描かなければいけないのか?」
「色は、現実の物体を説明するための道具じゃない。人間の感情や生きる喜びを直接伝えるための、自立した力を持っているはずだ」
彼は、自然の見た目をそっくりそのまま写し取る「忠実さ」をあっさりと捨て去りました。
その代わりに選んだのは、見る人の感情を直接揺さぶる「原色の純粋な響き合い」でした。
マティスが解放したこの色彩の爆発は、のちに近代美術が「目に見える現実」の束縛から完全に自由になるための、決定的な突破口となったのです。
「周りの空気」に合わせて、薄まっていないか?
僕が大雨の中で買ったTシャツの鮮やかな絵を思い浮かべながら、いま僕たちが身を置いているビジネスの世界を見渡してみると、ある強い既視感を覚えます。
それは、「みんなが周囲の顔色をうかがい、自分の色を薄め合っている」という光景です。
・会議で少しでも角が立たないよう、無難な言葉へと整えられていく企画
・競合他社の動向ばかりを気にして、業界の「当たり前」から一歩もはみ出さない商品設計
・トラブルや批判を恐れるあまり、誰の心にも引っかからない優等生なメッセージ
ビジネスの現場では、調和や協調性が重宝されます。
空気を読み、周囲のトーンに合わせ、波風を立てないこと。
確かにそうしていれば、誰からも「野獣だ!」などと後ろ指を指されることはありません。安全で、平和です。
けれど、そうやって全員が周囲に合わせて色を混ぜ合わせていった結果、何が生まれるでしょうか。
絵の具は、混ぜれば混ぜるほど濁り、やがてくすんだ灰色(グレー)になっていきます。
いまの市場に溢れているのは、まさにそうした「破綻はないけれど、誰の感情も揺さぶらない灰色のビジネス」。
あなたの「原色」を差し出す勇気
マティスが描いた絵は、当時の常識から見ればあまりにも下品で、乱暴で、非常識に見えました。
けれど、もし彼が「もう少し落ち着いた色にしておこう」「周囲のサロンの絵と調和させよう」と配慮していたら、フォーヴィスムという革新も、僕たちが今も愛してやまないあの心地よい色彩の解放も、絶対に生まれませんでした。
ビジネスも、まったく同じです。
・「そんなやり方、うちの業界では前例がないよ」と眉をひそめられるような新しい提案
・誰もが遠慮して口にしなかった、現場のリアルな本音や違和感を堂々と語ること
・自分の直感や美意識を信じて、少し過剰なくらい鮮烈なコンセプトを打ち出すこと
周囲から見れば、それは一見「空気が読めない野獣のような振る舞い」に見えるかもしれません。
批判されたり、笑われたりすることもあるでしょう。
でも、濁りきった灰色の市場で人の目を覚まさせるのは、いつだって誰かの差し出した「鮮やかな原色」です。
誰かに合わせて自分の色を薄めるのは、もうおしまい。
あなたの中に眠っている、混じり気のないピュアな情熱やこだわりを、そのままキャンバスへ叩きつけてみませんか。
「ちょっと派手すぎるんじゃないか?」と自分でドキドキするくらいの色合いこそが、沈滞した空気を切り裂き、熱狂的なファンを惹きつける狼煙(のろし)になるのです。
- 次回予告:
第9話『キャンバスに何もない? マレーヴィチが描いた「黒い四角」』
説明も装飾もすべて削ぎ落としたとき、ビジネスの「本当のコア」が立ち現れます。
藤村 正宏
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