人間味というバグを愛す|豪華なフルコースとおにぎり

昨日の深夜。
チャンネル登録して、いつも見ている『みのミュージック』さんの動画を観ていて、「ああ、なるほどなあ」って、ひとりでに膝を打っちゃったんです。

『みのミュージック AI音楽で「アーテイスト」を名乗っていいのか?』

AIが曲をどんどん作っちゃうから、聴く人よりも、曲の数のほうが多くなっちゃう。
これって、ちょっとすごい話だよね。
言ってみれば、お腹が空いている人よりも、並んでいる料理のほうが多い、みたいな。

目の前には、世界中の贅を尽くしたフルコースが、それこそ無限に並んでいる。
見た目も完璧だし、味もデータで計算され尽くしている。
でもね、どんなに豪華な料理が並んでいても、 僕らのお腹はひとつしかないじゃない?

「もう食べられないよ」って、みんなが満腹になっちゃった世界で、最後に僕らが「あ、これ食べたいな」って手を伸ばすのは、たぶん、そんな豪華なフルコースじゃないと思うんです。

僕はね、それは「おにぎり」だと思うんだ。

隣にいる誰かが、自分のために一生懸命握ってくれた、おにぎり。
形はちょっといびつかもしれないし、塩加減だってちょっと強すぎたりするかもしれない。
でも、「どうしてそれを握ってくれたのか」がわかるから、僕らはそれを、一番のご馳走だと感じるんじゃないかなあ。

「書くこと」も「デザイン」も、きっと同じだよね。

AIに頼めば、栄養満点で見た目も綺麗な「正解の料理」はすぐに出てくる。
でも、そればっかり食べていると、なんだか味気なくなっちゃう。
だからこそ、あえて不自由なルールを自分に課してみる。

みのさんは、動画の中で「ドグマ26」っていう ちょっと不自由なルールを提案していたけれど、 これがすごく面白いな、と思って。
(ドグマっていうのは「規制」みたいなイメージね)

あえてAIを使わない。あえて補正もしない。 わざと寄り道をする、みたいなこと。 これを執筆やデザインに置き換えてみると、 こんな感じになるのかもしれない。

  • 書くことのドグマ: AIに構成を相談せず、自分のなかの「ねじれ」をそのまま書く。 「誰が書いたか」という体温を、お米を研ぐみたいに丁寧に込める。
  • デザインのドグマ: 完璧な整列をあえて崩して、手書きのゆらぎを残してみる。 「トレンド」というレシピを無視して、自分の好きな具材を突っ込んでみる。

そうやって出来上がったものは、 AIが作る「100点の料理」には勝てないかもしれない。 でも、その「不恰好な手触り」こそが、お腹いっぱいの僕らを、もう一度ワクワクさせてくれるんだと思う。

みのさんの動画を観ながら、そんなことを考えていました。

これからの表現は、クオリティで勝負するんじゃなくて、「どれだけ心を込めて、おにぎりを握れるか」 みたいな話になっていくのかもしれないね。

なんだか、ちょっと肩の力が抜けて、自分の「いびつさ」が愛おしくなってくるような、 そんな夜でした。

 

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北海道釧路生まれ。明治大学卒。著書「モノを売るな!体験を売れ!」で提唱したエクスペリエンス・マーケティング(通称エクスマ)の創始者。経営者、ビジネスリーダー向けに「エクスマ塾」を実施、塾生はすでに1000名を超えている。著書は、海外にも翻訳され30冊以上出版。座右の銘「遊ばざるもの、働くべからず」
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