
「霧の街」というロマンチックな旅情
僕の故郷、北海道の釧路を舞台にした、ベストセラー小説、原田康子さんの『挽歌』。
ずっと読もうと思っていたんですけど、なかなか読めず、ずっと僕のスタジオの本棚に置いてありました。
鶴雅の動画プロジェクトの仕事をするようになり、釧路のことや北海道のことを調べているうちに、ちょくちょく、この小説のことが出てきた。
さらに、鶴雅のライブラリーに、新聞小説になった時の、復刻版の書籍があって、時間のある夜などにちょっとずつ読むようになり、阿寒湖で少し、東京で少しずつ読んでいるうちに、読了しました。

昭和30年代の釧路の様子が出ていて、「この描写はどのあたりのことを書いてあるのだろう」「この喫茶店はどんな感じなんだろう」と、自分の記憶にある釧路の昔の記憶を辿ったり、雰囲気を感じたりしながら、楽しんだ。
その後、この小説の映画『挽歌』も観た。
僕が生まれる前の釧路の風景がたくさん出ていて、とても面白かった。
みなさんは、北海道の釧路と聞いてどんな風景を思い浮かべるでしょうか?
多くの方が「霧に包まれた幻想的な港町」をイメージするかもしれません。
実は、この「釧路=霧の街」というロマンチックな旅情を全国民の脳裏に焼き付けたのが、この小説なんですね。
1956年(昭和31年)に発表された原田康子の『挽歌(ばんか)』。
当時はまだ「聖地巡礼」なんて言葉すらなかった時代。
『挽歌』の爆発的なヒットは、全国から釧路へ女性たちを駆り立てる「挽歌ブーム」「霧の街ブーム」を巻き起こしたんですね。
23歳の新人主婦が放った、70万部のメガヒット
作者の原田康子は、当時釧路に暮らしていた20代の熱心な同人雑誌の作家(のちに主婦)でした。彼女が私家版として発表した『挽歌』が東都書房から出版されるやいなや、またたく間に70万部を超える大ベストセラーとなります。
物語の主人公は、内に激しい情熱と孤独を秘めた22歳の女性・兵藤怜子。
彼女が、妻のある建築家・桂木とその妻、さらにはその周囲の人間たちと織りなす、危うくも切ない恋愛心理劇です。
当時の文学界や読者に衝撃を与えたのは、それまでの日本文学に多かったドロドロとした暗い愛憎劇とは一線を画す、みずみずしくモダンな感性でした。
そして何より、そのドラマの背景として描かれた「釧路の自然」が、強烈な魅力を放っていたのです。
小説が描いた「小道具としての釧路」
『挽歌』の凄さは、釧路の風景を単なる地理的な舞台設定としてではなく、主人公たちの揺れ動く心理を表現する「最高の小道具」として機能させた点にあります。
「霧が深いわね」
「いつものことさ」
作中に何度も登場する、街を白く包み込む海霧(かいむ)。
幣舞橋(ぬさまいばし)から見下ろす冷たい川面。
太平洋の荒波が打ち寄せる千代の浦。遠く広がる釧路湿原。
そして、印象的に使われている霧笛の音。
原田康子の筆によって、それまで「寒冷な東の果ての開拓地」「荒々しい漁師の街」だった釧路は、一瞬にして「傷ついた心を抱えた人間がさまよう、孤独でロマンチックな街」へと塗り替えられました。
読者たちは、霧の向こうに主人公・怜子の面影を探さずにはいられなくなったのです。
日本中から女性が押し寄せた「元祖・聖地巡礼」
ブームの熱量は凄まじいものでした。
翌1957年には久我美子さん主演で映画化され、映画のロケ地を一目見ようと、全国から観光客(特に若い女性たち)が釧路へ押し寄せました。
観光客たちは小説を片手に街を歩き、怜子が歩いた幣舞橋に立ち、彼女が乗ったのと同じポーズでタクシーの窓から霧を眺めました。
地元の観光協会や交通機関もこの波に乗り、「挽歌コース」と銘打った観光バスやタクシーが運行されるようになります。
これこそが、現代のアニメやドラマで行われている「聖地巡礼」の先駆けです。
「物語の追体験」を求めて人が旅をするという文学観光の爆発力を、昭和30年代の釧路は見事に証明してみせました。
土地の弱みを「強み」に変えた、文学の魔法
観光の視点から見て『挽歌』がもたらした最大の功績は、「霧」という地域の弱みを「最大の観光資源」に変えたことです。
本来、夏の釧路を覆う濃い霧は、飛行機を欠航させ、洗濯物を湿らせ、人々の気分を沈めさせる「やっかいもの」でした。日照時間が減るため、冷害の原因にもなる嫌われ者だったのです。
しかし『挽歌』は、その霧に「ロマンチシズム」と「憂い」という文学的な価値を与えました。
「霧のせいで何も見えない」ではなく、「霧があるからこそ美しい」。
この価値観のコペルニクス的転回によって、釧路は日本唯一の「霧の街」というブランドを手に入れました。
現在でも釧路の定番観光となっている「幣舞橋の夕日と霧」の美しさは、このブームが土台となって全国区になったと言っても過言ではありません。
物語が街のアイデンティティになる
石川啄木の「76日間の足跡」が釧路の歴史の伏流となったように、原田康子の『挽歌』は釧路に「お洒落で、少し大人の、文学の薫りがする街」という新しい顔を与えました。
建物はいつか建て替えられ、映画のロケ地となった風景も時代とともに変わっていきます。
しかし、『挽歌』が描いた「霧の街の切ない空気感」は、今も釧路の街のアイデンティティとして溶け込んでいます。
旅先で出会う風景の裏側に、どんな物語が隠されているのか。
それを知るだけで、ただの観光地が「忘れられない特別な場所」に変わります。
もしみなさんが夏の釧路を訪れ、白い霧に包まれたなら、それは天気が悪いのではなく、昭和の日本を揺るがした『挽歌』の世界に足を踏み入れた証拠なのかもしれません。
藤村 正宏
最新記事 by 藤村 正宏 (全て見る)
- 【観光大学】霧の街に恋した人たち。小説『挽歌』が作った、元祖・聖地巡礼ブーム - 2026年7月15日
- 【観光大学】世界初の団体旅行はどんな旅行だったのか? 始まりはわずか19キロの旅。 - 2026年7月14日
- 【観光大学】なぜ日本人は旅先で「お土産」を買うのか? それは江戸時代の旅に関係していた - 2026年7月13日
