仕事を楽しむという考え方は父親の影響

子供の頃から仕事は楽しいものだと思っていた

「仕事は楽しいものだ」という意識が、ボクの中で生まれたのは、たぶん小学生の頃だったと思う。
それは、父親の影響だったのではないかって、大人になってから思った。

ボクは子供の頃、北海道の釧路にある、炭鉱の住宅で育ちました。
父親が「太平洋炭鉱」の社員だったからです。
海沿いに広がる、周囲何キロにもわたる、広大な土地に、炭鉱の従業員が住んでいる町です。
だから友達はほとんど、炭鉱の息子たちばかりです。

友達のお父さんたちは、みんな夕方になると、真っ黒な顔で帰ってきます。
石炭を掘る仕事は、給料はよかったみたいですが、命がけのキツイ仕事です。
でも、ボクの父親は石炭を掘る仕事をしていたわけではありません。
今でいうと、グラッフィクデザインとか、販促部みたいな仕事をしていたように思う。
自分のアトリエのような部屋で、ひとりでいつも仕事をしていた。
部下も上司もいなかったんだと思う。

若い頃の父(中央白いジャケット) 釧路美術協会の立ち上げの時らしい

若い頃の父(中央白いジャケット)
釧路美術協会の立ち上げの時らしい

小学校の頃に、学校が終わって、時々、父親の仕事場にいくことがありました。
いつも、独特の匂いのする仕事場です。
ペンキの溶剤の匂いであったり、絵の具の匂いや油粘土の匂い。
床に大きな看板を置いて、手書きで作っていたり、シルクスクリーンで何十枚も同じ看板を作っていたり、絵を描いていたり、模型を作っていたり。
いついっても、とても楽しそうだった。
おまけに父親のアトリエの外に出ると、高いところからの海の眺望が素晴らしかった。

羨ましいって思った。
こんな環境で、いつもひとりで、一日中、工作したり絵を描いたり。
なんて楽しいんだろう。
学校で毎日勉強をしている少年にとって、それはとても輝いて見えた。

「早く大人になりたいな〜」
「大人っていいな〜」
「大人になったら、こんなに楽しいこと、毎日できるんだ」

いつもそう思っていた。

もちろん、父はボクに面と向かって、「仕事は楽しむものだ」とか「大人はいいぞ」とか言ったことは一度もありません。
でも、父は確実に「仕事を楽しんでいた」と思う。

テクニックではなく「楽しさ」を伝える

父親は晩年、会社を辞めて、画家をやっていました。
藤村正豪(フジムラセイゴウ)っていう名前で、北海道ではちょっと知られた画家でした。
釧路美術協会の立ち上げのメンバーだった。
個展をやったり、釧路市の文化講座の講師や、刑務所の受刑者に絵を教えたり、子供たちの絵画教室をやったりしていた。

だからボクが物心ついたときには、家はいつも油絵絵の具の匂いがしていた。
いつもいつも、その匂いが家庭の匂いだった。
土曜の午後には、家で子供たちが集めて絵画教室をやっていました。
父親の教え方はいつも褒めているって感じ。

「この色はいいね」
「上手だな〜」
「かっこいい」

たぶん子供たちに、絵のテクニックより、絵を描くことの楽しさを感じさせていた。
ひとりでも多くの子供たちが、絵を描くことは楽しいことと思ってもらいたい。
そんな思いだったのだと、今になってそう理解している。
市の文化講座に集まってくる主婦の方や、刑務所の受刑者さんたちにも、たぶん、「絵を描くことは楽しいことなんだ」、そういうことを伝えて続けていたんだと思う。

たくさんの人たちが絵を描くことの楽しさに目覚めたはずです。
父親がいなくなってからすでに30年たちましたが、今でも時々、父から絵を教えてもらった、っていう人に偶然会ったりする。
そして、今でも絵を描いているって聞くと、すごくうれしくなります。
その人の豊かな人生に少しでも貢献していたんだ。
今でもそういう人たちの中に、父は存在している。
そんな感じです。

大人になって気づいたのは、ボクもビジネスの楽しさ、マーケティングの楽しさ、ソーシャルメディアの楽しさなどを、伝え続けているってこと。
仕事が楽しくなると、人生が豊かになる。

「仕事は、楽しんでいいんだ」

そう思う人を、ひとりでも多く増やしたい。
いつもそう思って、いる。

日曜の午後に、ゆるいボサノバを聞き、アイスコーヒーを飲みながら考えていたのは、概ねそんなことだった。

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藤村 正宏
北海道釧路生まれ。明治大学卒。著書「モノを売るな!体験を売れ!」で提唱したエクスペリエンス・マーケティング(通称エクスマ)の創始者。経営者、ビジネスリーダー向けに「エクスマ塾」を実施、塾生はすでに1000名を超えている。著書は、海外にも翻訳され30冊以上出版。座右の銘「遊ばざるもの、働くべからず」

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