
酷暑日という新しい言葉が出現
今年から「酷暑日」という言葉が使われ始めました。
40℃を超えると、酷暑日にというそうです。
今までは35℃で「猛暑日」だった。それじゃ足りないほど、気候が変化しているってことですよね。
実際に、ここのところの東京は暑いです。36℃とか37℃とか。
さすがにまだ「酷暑日」にはなっていないけど、確実に毎年暑くなっているイメージはある。
こう暑い日が続くと、沖縄の綺麗なビーチやリゾートホテルのプールで、のんびりしたいです。
東京よりむし暑くないよね。日差しは強烈だけど・・・
ビーチといえば、ハワイのワイキキビーチ。
今日の話は今から100年くらい前のワイキキビーチから始まります。
ハワイのワイキキビーチは人工的に作られたもの
「ワイキキといえば、ハワイを代表する美しいビーチリゾート」
誰もがそう思い浮かべますが、かつてそこがタロイモ畑と大量の蚊が発生する「広大な湿地帯」だったことをご存知でしょうか?
1920年代、ワイキキは単に自然発生的に観光地になったのではなく、アメリカ国家の強力な戦略的意志によって計画的に創り上げられた人工リゾートでした。
今回は、ワイキキ誕生の歴史とアメリカの地政学・経済戦略、そしてそこに集った世界的なセレブたちの滞在史を解説します。
1. 1920年代、ワイキキを激変させた3大プロジェクト
1920年代以前のワイキキは、山からの水が流れ込む湿地帯であり、観光地とは程遠い場所でした。この地を世界的なリゾートへと変貌させたのが、以下の3つの連動した出来事です。
① アラワイ運河の建設(1921〜1928年)
ハワイ領政府(当時はアメリカの準州)によって掘削された運河です。
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目的: 山からの排水を堰き止め、ワイキキの湿地を乾燥させること。
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効果: 蚊の発生を抑えて衛生環境が劇的に改善し、大型ホテルや施設を建てるための「乾いた土地」が一気に生まれました。
② ロイヤル・ハワイアン・ホテルの誕生(1927年)

土地の整備に伴い、1927年に「ピンク・パレス」の愛称で知られるロイヤル・ハワイアンが開業しました。
当時アメリカ本土で流行していた「スペイン・ムーア調」のラグジュアリーな建築は、アメリカの政財界やハリウッドスターたちの憧れの象徴となりました。
③ 豪華客船ルートの確立
当時はまだ旅客機がない時代です。アメリカの海運会社マトソン社(Matson Line)がサンフランシスコ〜ホノルル間に豪華客船「マロロ号」を就航させ、本土の富裕層を大量にハワイへ送客する仕組みを作り上げました(ロイヤル・ハワイアン・ホテルもマトソン社らが乗客の宿泊先として建設したものです)。
なぜアメリカは「国家戦略」としてワイキキを開発したのか?
単なる観光振興を超えて、アメリカ政府には4つの大きな戦略的思惑がありました。
| 戦略的視点 | 解説とねらい |
| ① 経済構造の転換 | サトウキビ・パイナップル農業への100%依存から脱却し、国際価格に左右されない「観光」という第2の巨大産業を創出する。 |
| ② 社会の「アメリカ化」 | 併合当時のハワイは先住ハワイアンやアジア系移民が多数派。本土から裕福な白人層を大量に呼び込み、人口構成と文化をアメリカ本土化させる。 |
| ③ 軍事インフラの補強 | 太平洋の重要拠点(真珠湾など)を支えるため、水道・道路・電力・通信などの都市インフラを軍民両用(デュアルユース)で整備する。 |
| ④ 国威発揚(ショーウィンドウ) | 「未開の湿地帯を、アメリカの資本と技術で世界一のパラダイスに変えた」という国家の威信を世界に誇示する。 |
豪華客船とロイヤル・ハワイアンに集った世界の大物たち
1920年代後半から1930年代にかけて、豪華客船でワイキキを訪れ、ロイヤル・ハワイアン・ホテルに長期滞在した著名人は当時の超一流ばかりでした。彼らの滞在が、ワイキキの「最高級リゾート」としてのブランドを決定づけました。
① 映画界・エンタメ界のスーパースター
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チャーリー・チャップリン: 喜劇王チャップリンはホテルの常連。船で到着すると港は大騒ぎとなり、滞在中はワイキキビーチでサーフィンを楽しむ姿も記録されています。
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メアリー・ピックフォード & ダグラス・フェアバンクス: 「アメリカの恋人」と呼ばれた大女優とアクションスターの超大物夫妻も客船で華々しく訪れました。
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シャーリー・テンプル: 空前の大ブームを起こした天才子役。ホテルの庭園でレイを贈られる写真は歴史的名シーンです。
② 政治家・国家元首クラス
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フランクリン・D・ルーズベルト大統領: 第32代アメリカ大統領。1934年のハワイ公式訪問時、ロイヤル・ハワイアン・ホテルを滞在先(ホワイトハウス代わり)として使用しました。
③ 歴史的大富豪・産業資本家
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ロックフェラー家、フォード家、デュポン家: 石油王、自動車王、化学財閥などの一族。彼らは数ヶ月単位でスイートルームを貸し切り、バカンスを過ごしました。
コラム:20〜30個の巨大トランクを抱えた旅
当時の富裕層の旅は、現代の手荷物1つの旅とは一線を画していました。船旅用のフォーマルウェア、リゾートウェア、夕食用のイブニングドレスなどを揃えるため、1家族で20〜30個以上の巨大なクローゼット型トランクを持ち込み、ホテルの一画に並べて数ヶ月間優雅に暮らしたのです。
観光開発の「光と影」
ワイキキの開発は、近代化と経済発展という「光」をもたらした一方で、大きな「影」も残しました。
開発時、ワイキキはアメリカ政府によって「不衛生な泥沼」と再定義され、そこにあった先住ハワイアンの伝統的なタロイモ畑や養魚池は強制的に立ち退かされました。
観光客にとっての「楽園の誕生」は、先住ハワイアンにとっては伝統的な土地と自給自足の暮らしがアメリカの商業主義によって上書きされた歴史でもあったのです。
観光学的な視点
ワイキキの歴史は、観光学における「観光地化(Tourism Development)と地政学・国家権力の関係」、そして「セレブリティ・ツーリズムによるブランド形成」を学ぶ格好のケーススタディです。
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観光地は単に自然の美しさだけで生まれるのではなく、インフラ整備・資本投資・国家戦略・有名人によるPR効果が組み合わさって作られる。
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華やかなリゾートの背景には、必ず地域固有の歴史や社会構造の変化(光と影)が存在する。
次にワイキキのビーチやアラワイ運河を訪れるときは、ぜひ100年前の「1920年代の大変貌」と、そこに集った人々へ思いを馳せてみてください。
藤村 正宏
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