JTB「OPEN FRONTIER 2035」から考える、観光業の新しい仕事
「旅行会社は、何を売っている会社ですか?」
そう質問されたら、多くの人は、航空券やホテル、パッケージツアーを売る会社だと答えるかもしれない。
旅行の日程を決め、交通手段を手配し、ホテルを予約する。団体旅行であれば、観光バスや食事場所を押さえ、添乗員をつける。
もちろん、これらは今も旅行会社の大切な仕事です。
でも、AIが急速に進化している今、この仕事の意味が大きく変わろうとしている。
JTBは2035年を見据えた長期ビジョン「OPEN FRONTIER 2035」を発表しました。
その中でJTBは、自分たちを単なる「旅行を販売する会社」としてではなく、人と人、人と地域、人と組織をつなぎ、新しい交流を生み出す会社として再定義しています。
目指しているのは、「感動と幸せで人々を満たす『新』交流時代のフロンティア企業」。
背景には、人口構造の変化や気候変動、そして生成AIをはじめとするテクノロジーの急速な進化があります。
JTBは、AIによって移動、情報、意思決定のあり方が変わり、これまでのビジネスモデルの見直しが必要になると考えている。そのうえで、人と人、人と地域、人と組織をつなぐ「交流」の価値は、これまで以上に重要になると位置づけています。JTB「OPEN FRONTIER 2035」発表
これは、とても興味深い変化。
旅行を売っていると思うと、価格競争になる
旅行会社が「航空券を売る会社」であるなら、同じ航空券は安いところから買われる。
「ホテルを予約する会社」なら、同じ客室を最も安く予約できるサイトが選ばれる。
「ツアーを販売する会社」であるなら、日程や訪問先、価格が比較される。
商品だけを見れば、どうしても比較されますよね。
比較されれば、価格競争になる。
これは旅行業界だけの話ではない。
自分たちが売っているものを、商品や機能だけで考えていると、どんな業種でも同じことが起きるわけです。
レストランが料理だけを売っていると思えば、味や量や価格を比較される。
旅館が客室と温泉だけを売っていると思えば、部屋の広さや設備、宿泊料金を比較される。
観光地が有名な景色だけを売っていると思えば、もっと有名な観光地と比べられる。
だから僕は、エクスマを提唱し始めた頃から、「モノを売るな、体験を売れ」と言い続けてきたわけです。
お客さまが本当に求めているのは、商品そのものではありません。その商品を通して得られる、豊かな時間や感情、思い出や人とのつながりです。
旅行も同じです。
航空券やホテルは、旅を成立させるために必要なものですが、旅の目的そのものではありません。
AIは予約できる。でも、旅の意味までは決められない
これからAIエージェントが進化すると、旅行の手配はますます簡単になります。
「10月に北海道へ行きたい。自然の中でゆっくり過ごしたい。予算は二人で20万円くらい」
そう伝えれば、AIが航空券を探し、ホテルを比較し、移動時間を計算し、好みに合いそうな飲食店まで組み合わせてくれるでしょう。
予約や決済まで、人間に代わって進めてくれるようになる。
条件を比較し、最適な組み合わせを探すことは、AIが得意な仕事。そうなると、旅行会社や観光業の人間は必要なくなるのでしょうか。
そうじゃないですよね。
むしろAIが手配を上手にすればするほど、人間にしかできない仕事が、はっきりしてくると思います。
それは、旅の意味をつくる仕事です。
なぜ、そこへ行くのか。そこで、誰と出会うのか。その土地で、どんな時間を過ごすのか。どんな物語に触れるのか。旅をしたあと、その人の日常がどう変わるのか。
こうしたことを考え、旅する人と地域の間に新しい関係をつくる。
それが、これからの旅行会社や観光業の大切な仕事になるのだと思います。
観光業は「交流を編集する仕事」になる
JTBの山北栄二郎社長は、旅行を「旅先で生まれる出来事」として捉え直しています。
JTBはコロナ禍で、旅行が「不要不急」と呼ばれる経験をしました。
そのとき、「自分たちの存在価値は何か」を改めて問い直したそうです。
そして、自分たちは単に旅行を販売してきたのではなく、旅先のさまざまな人たちと関係を築き、そこで生まれる価値をつくってきたのだと再認識しました。
これからは事業の軸足を、旅行販売だけではなく、「旅先の価値づくり」へ移していくと語っています。Forbes JAPAN「交流創造」でボーダレスな感動を生む
僕は、この「旅先で生まれる出来事」という言葉が、とても大事だと思うんですよ。
旅の価値は、予定表の中にはない。
旅先でスタッフと交わした、ちょっとした会話や、地元の人に教えてもらった、ガイドブックに載っていない店。
朝の散歩で見つけた風景、偶然立ち寄った場所で聞いた、その地域の物語。
一緒に旅をした人と、いつもは話さないようなことを話した時間。
そうした出来事が、人の記憶に残ります。
旅行会社の仕事は、旅行商品を並べることから、交流が生まれる可能性を編集することへ変わっていく。
観光施設の仕事も、お客さまを効率よく案内することだけではなく、人と地域が関係を持つきっかけをつくることへ変わっていく。
ホテルの仕事も、客室を提供するだけではなく、その土地を好きになる時間をつくることへ変わっていく。
「旅行を手配する会社から、交流を編集する会社へ。」
この変化は、JTBだけの話ではありません。これからの観光業全体に起きる変化です。
効率化の先に、感動はあるのか
AIは、お客さまの条件に合ったホテルを見つけることができます。でも、その人が本当はどんな旅を求めているのかは、条件だけではわからないことがあります。
疲れているから、静かな場所へ行きたいのかもしれない。
子どもが独立する前に、家族の思い出をつくりたいのかもしれない。
亡くなった両親と旅した土地を、もう一度訪れたいのかもしれない。
新しい仕事を始める前に、一人で自分と向き合いたいのかもしれない。
旅行の理由は、必ずしも言葉になっているとは限りません。本人さえ気づいていないこともあります。人間の観光業者に必要なのは、その言葉にならない気持ちを想像する力です。
お客さまの話を聞き、その人の背景を感じ取り、その旅がどんな意味を持つのかを一緒に考える。
そして、地域に暮らす人、文化を守る人、料理を作る人、宿で働く人たちをつなぎ、一つの体験として編集する。
これは単なる手配ではありません。プロデュースです。
JTBは、この力を「洞察力」と「専門性」を組み合わせた「交流創造Intelligence」と表現しています。
AIやデータを拒絶するのではなく、それらを活用しながら、人間の洞察力や現場対応力を重ねていくという考え方です。トラベルボイス「JTB、2035年を見据えた長期ビジョンを発表」
AIか、人間か。そんな単純な対立ではない。AIに任せたほうがいい仕事は、AIに任せればいい。そのぶん人間は、目の前の人をよく見て、話を聞き、関係をつくり、心が動く瞬間を増やすことに時間を使えばいい。
旅の価値は、帰宅したあとにわかる
旅の本当の価値は、旅先にいる間だけで完結するものではありません。
北海道で朝の散歩をして気持ちよかったから、東京に帰ってからも朝歩くようになった。旅館でスマホを見ずに食事をした時間が心地よかったから、家でも家族とゆっくり食卓を囲むようになった。旅先で知らない人と話したことが楽しかったから、自分の町でも人に声をかけるようになった。旅に出る前の日常と、帰ってきたあとの日常が、少し変わっている。
それこそが観光の価値なんだと思うのです。
これからの観光業が提供するのは、一時的な「非日常」だけではありません。その人の日常を少し豊かにする「新日常」です。
だから、観光業が考えるべきなのは、「何人のお客さまを送ったか」だけではないんですよね。
「その旅によって、どんな交流が生まれたか。」
「その地域を好きになってくれた人が、どれくらい増えたか。」
「旅をした人の日常に、どんな変化が残ったか。」
そこまで考えて、初めて旅の価値を設計したことになる。
AI時代だから、人間らしい観光が必要になる
AIは最適な旅程をつくれます。でも、少し遠回りしたから出会えた風景があります。予定どおりにいかなかったから、忘れられない旅になることもあります。効率だけを考えたら省かれてしまうような会話や寄り道に、人の心を動かす価値が隠れています。
観光業に必要なのは、正解の旅を提供することじゃない。
その人にとって意味のある旅を、一緒につくることです。
旅行を売るのではなく、出会いをつくる。観光地を紹介するのではなく、その土地との関係をつくる。ホテルの部屋を提供するのではなく、人生に残る時間をつくる。
そして、旅が終わったあとも、その人と地域との関係が続いていくようにする。
JTBの「OPEN FRONTIER 2035」が示しているのは、単なる旅行会社の事業領域拡大ではありません。
「自分たちは何を売っている会社なのか」を問い直し、存在価値を再定義する試みです。
この問いは、すべての観光事業者に向けられている。
あなたの会社は、部屋を売っているのでしょうか。料理を売っているのでしょうか。交通手段を売っているのでしょうか。
それとも、人と人が出会い、地域と関係を持ち、その人の人生が少し豊かになる時間をつくっているのでしょうか。
AIが予約を上手にすればするほど、観光業の人間には大切な仕事が残ります。
これからの観光業は、旅行を売る仕事ではありません。
人の心が動く場面をつくる仕事なのです。
藤村 正宏
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