マーケティングコンサルタント藤村正宏の自伝:10 どうして演劇を志したのか

夏休みの土曜なので、昨日に引き続き。
またボクの自伝です。
興味のある人だけ読んでくださいね。

マーケティングコンサルタント藤村正宏の自伝:10

ボクは高校を卒業して、一年浪人のすえ、明治大学文学部演劇学専攻コースに入学します。
どうして大学で演劇をやろうと思ったかというと、それには、あるきっかけが存在します。
交通事故にあったこと。

ボクの大学受験のイメージはこんな感じ

ボクの大学受験のイメージはこんな感じ

高校3年生の夏休みに、バイクで事故を起こしたんです。
脚にかなり重症な怪我をして、まともに歩けるようになったのは翌年の1月くらい。
その間に3回手術をした。
3回目の手術が終わったのがクリスマスだった。

8月、事故を起こして病院に運ばれ緊急手術をして、目が覚めた時。
ちょっと間違ったら死んでいたかもしれない。
そう思ったんです。

同じ時期に、近所のバイク仲間の先輩が事故で亡くなったばかりだったこともあって、死というものを自分事として意識たのは、この時だったと思う。
「人間はいつ死ぬかもしれない。明日だって生きているかどうかわからない・・・」
18歳の少年は、釧路市立病院の整形外科のベッドの上で、そう思った。

当時ボクは、多くのクラスメイトと同じように、受験はしようと思っていた。
第一志望は、国立理系。
北海道大学、理学部。
なんとなくみんな志望しているから、というのが動機。
別に将来の展望もなく、何をやりたいというのもなく、志望していた。
ま、ボクの学力では無理な大学なんですけど。

でもいつ死ぬかもしれない。
それを実感したとき、だったら、好きなことをしなきゃって思ったんです。
でも、その好きなことがよくわからない。
だいたい好きなことって、勉強できるのかもわからない。
ベッドの上で自分が好きなことを考えた。

美術
小さいころからアートが好きだった。
小学校6年生のころ、モーリス・ユトリロの自由研究をするくらい。
ピカソやモディリアーニ、マンレイ、コクトー。
現代アートの、クリスト、ウォーフォール、デュシャン、モンドリアン・・・などなど。

文学
吉行淳之介、梶井基次郎、夏目漱石、太宰治、芥川龍之介などの純文学。
クイーン、クリスティ、カー、クロッフなどの推理小説。
子供のころから本を読むのは好きだった。

音楽
ジャズが大好きだった。
ジャズ喫茶「ジスイズ」に毎週通い詰めていた。

映画
中学生の頃から映画館でよく観ていた。
「ある愛の詩」「愛の嵐」「荒野の七人」「ベニスに死す」・・・。

ファッション
当時はVANがとっても流行っていた。
アイビーファッション。
思春期だから、服を買うのも好き。

こういうことをすべて勉強できるのは、どんな大学?
それを考え続けた。
ある日、病院のベッドの上でひらめいた。
「演劇だ」
演劇は総合芸術。
文学も美術も音楽も、あらゆる芸術表現が存在するんです。
「これだ!」
そして、どうせ勉強するのなら、東京だろう。
ってことで、演劇学の専門コースがある大学を調べた。

演劇を正式な課程にしている東京の大学は、
早稲田文学部
明治文学部
日大芸術学部
だった。

でも、ボクの学力では到底無理な難関。
一年目はダメだった。。。

一浪することに決め、札幌の予備校にいくことにして、その年の3月の終わりに高校の担任に伝えました。
そしたら、進学ではなく就職を勧められた。
理由は、一年浪人しても、今より成績がよくなるとは思えないということ。
親元を離れたら遊んでしまって、勉強しないだろうって。

だいたい高校卒業当時のボクの偏差値は39~40。
高校に入ってから勉強をしなくなって、バイクとジャズと麻雀ばかりやっていたから。
英語の問題さえろくに答えられない状態。
それを偏差値60以上の大学を狙うのだから、誰がみても無謀だと思ったのも無理はないですよね。

当時早稲田の文学部の偏差値は72。
明治文学部は65。
日大は60くらい。
でも、ボクはその時担任の教師にこう言ったのです。

「来年の今頃は、ボクは東京六大学のどこかに合格しています」

なんの根拠もなかったけど、きっと合格するような気がしていた。
担任は、まあがんばってくれ、というような微妙な微笑みを浮かべていました。
かなりくやしかったんだと思う。
屈辱だった。
それで本気で決意したわけです。
ここでがんばらなかったら、一生後悔するかも。
背水の陣だった。

365日、毎日16時間くらい勉強した

まず何をしたか?
目標を設定したんですね。

第一志望、早稲田大学第一文学部。
無謀な目標ですが、ここを狙えるくらいまで学力が上がったら、他も大丈夫だろうってことで、目標は大きく設定した。
受験科目は、英語、国語、日本史。
英語が苦手だったので、ともかく英語を完璧にしようとした。
一年間、必死に勉強しました。
少しでも怠けると、合格しない。
そう思って自分に厳しく接しました。

毎日ほとんど365日。
朝6時に起床。
尞で朝ご飯を食べて、予備校に。
朝7時から教室の一番前の席に座り、英単語をノートに書きとって覚える。
9時から12時まで、2講授業を受ける。
英語と現代国語、古文、漢文。
それだけ。

特にわかりやすく教えてくれる先生を選んで、その先生を追っかけしました。
だいたい昼くらいに授業を聴き、その後、尞の部屋に帰ったり、札幌のジャズ喫茶に行って、勉強する。
夜6時に夕食。
夜7時から、午前1時まで勉強。
このパターンを1年間休みなく、続けました。

夏休みが終わる頃、学校には半分くらいの学生が来なくなります。
もう勉強することをあきらめて、遊びほうける。
人間は楽なほうに流されやすいですからね。
一生の間のわずか1年です。
それもがまんできないのが、人間です。

ブログを意気込んで始めても、3か月くらいすると半分くらい辞めてしまうのとよく似ています。
そういう来なくなった人たちを見て、あ、またライバルが減った。さらにがんばろう。
そう思うようにしていた。

「たった一度の青春なのに、予備校で勉強するなんてもったいない」とか「人生の一番いい時期に、面白くもない勉強して何になる」などなど、屁理屈を言い出す人がたくさん出てくる。
でも、いくら色んなこと言っても、負け惜しみだと思うようにする。
だってたった1年間ですから。
大学に合格するという目標が明確にあって、それに向かってやるべきことも決まっているんですから、楽しくなってくる。

冬、12月頃までには、さらにライバルは半分減ります。
4月に較べると、4分の1くらいになる。
ボクの偏差値は夏休みに入るくらいまでは、あまり上がりませんでした。
でも、続けているとじりじりと上がってきました。
なんでもそうですが、最初は効果が薄いのです。
TwitterやFacebook、ブログも同じね。
最初は反応がないのは当たり前。
ブログを書いて、1ヶ月で売り上げがあがるなんてそんな甘いもんじゃない。
続けていると、ある日突然、効果が現れるのです。

10月くらいに、英語の偏差値が60を超えてきたのです。
そして、お正月が明けてからは、トータルの偏差値が68を超えるようになってきた。
基本的に大学受験はテクニックだから、パターンを覚えると意外にカンタンに問題が解けるんですね。

明治大学の英語と国語の試験は満点

結局、早稲田には落ちましが、合格したのは明治大学。
早稲田の英語と国語の試験は、ほぼ完璧でしたが、日本史がちょっと難しかった。
明治の合格が決まったので、日大は願書は出したけど試験は受けなかった。

明治大学の試験はすごかったですよ。
最初の試験は英語だったんですけど、受験に出た問題は、すべて、一度やったことのある問題だった。
だから100点満点です。
そして、次は国語。
信じられないことですが、これもすべて、一度やったことのある問題。
もちろんすべて解答できた。
どちらの時間もすぐに終わって、何度も見直したから自信をもって言えるけど、英語も国語も満点です。
どうしてそういうことが起きるかというと、過去5年間の大学受験の過去問題を、圧倒的な数、解いていたから。

だって一日16時間毎日勉強していたんですよ。
この年、生涯で一番勉強した。
毎週、三菱のボールペン一本使い切った。
受験が終わったあと、使い切って透明になったボールペンが50本以上残っていた。
その後、釧路湖陵高校の奇跡と言われるようになります。(笑)

人と同じことをやっていたら、人並みで終わり。
みんなできるけど、みんなやらないことをやることが大事なんです。
ブログやSNSも同じです。
もし、あなたが今、まったくブログやSNSをやっていなかったとしても、今日から毎日、一日3時間、なんとかそのためだけの時間を作って、1年間やったら、圧倒的になります。
そして一度圧倒的になったら、あとは普通に戻しても、大丈夫です。
今まで想像もしなかった世界になっています。

SNSも達人になっているでしょう。

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藤村 正宏
北海道釧路生まれ。明治大学卒。著書「モノを売るな!体験を売れ!」で提唱したエクスペリエンス・マーケティング(通称エクスマ)の創始者。経営者、ビジネスリーダー向けに「エクスマ塾」を実施、塾生はすでに1000名を超えている。著書は、海外にも翻訳され30冊以上出版。座右の銘「遊ばざるもの、働くべからず」

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