ボクの歴史なんて、読んでも面白くない人は・・・・・
無理して読まないでくださいね(笑)
藤村正宏の自伝③
さてさて、炭鉱の町で育ったということを書きましたね。
どんな感じかというと、あの有名な映画『フラガール』の舞台になった常磐炭鉱の町並みみたいな感じです。
時代的にも、ちょうどあの頃ですね。
道も舗装されていなかったし、信じられないかもしれないけど、馬車も走っていた。
生ごみを集めるのが馬車だった。(記憶があやふやですが)
だからバスが走る大きな道にも馬糞が落ちていた。
小学校に入るころには、もう見なくなったような気がするけど。
炭鉱っていうのは、とっても危険な職場で、事故で怪我をしたり命を落とす人もいた。
ボクの友人たちのお父さんも例外ではなかった。
しょうじくんのお父さんは片足がなかったし、かどわきくんのお父さんは下半身不随でいつも寝ていた。
みなきくんのお父さんは夜中の仕事中、事故でなくなった。
毎日危険と隣り合わせの町だった。
そんな危険な現場はもう現代の日本にはないだろうけど、昔は安全対策や安全装置もしっかりしていなかったんだろうな、と思う。
でも、そうやってボクたちの父親の世代が今の豊かな日本をつくってきたんでしょうね。
みんな次の世代、ボクたちに豊かな暮らしをさせたいという、そういう思いで命がけだったわけです。
ボクの父親は、命の危険がない職場でした。
石炭を掘っているわけじゃないから。
だから、それはなにより安心でした。
明らかに父親は、友人のお父さんたちとは、ちがっていました。
「他人とちがうこと」がとっても価値がある。
そういうことを、こどもの頃から感じていたんだと思う。
個性が大切だということを、個性的なことはダメだと言われていた時代に感じていた。
今の時代でも「個性」を出せない会社や人が多い。
ある意味「組織」っていうのはしばしば「個性」が邪魔になることがある。
みんな個性的でみんなバラバラだったら、組織は成り立たたない。
みんな個性的でありながら、組織としてもしなやかで強い。
そういう会社が飛躍するんだと思う。
そのためには、魅力的な「ビジョン」が必要なんです。
それは「貢献の魅力を追求するビジョン」でなければならない。
魅力的なビジョンを掲げて、それに向かって個性的なメンバーが活動する。
21世紀型の企業はそうならなければ、繁栄しないのです。

藤村 正宏

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