
釧路の幣舞橋
日本の観光の可能性を狭めるな!
「アドベンチャートラベル(AT)」と聞いて、あなたは何を思い浮かべます?
切り立った崖をマウンテンバイクで駆け下りる。荒れ狂う川をラフティングで進む。あるいは、何日もかけて過酷な山道をトレッキングする……。もしそう思っているなら、あなたは大きな損をしている。
そして、もし観光に携わる人がそう思っているなら、それは日本の観光の可能性を、自ら狭めてしまっていることと同義です。
僕のクライアント鶴雅グループでは、この「アドベンチャートラベル」を全社で推進しています。
だから、僕も色々と関心を持ってアドベンチャートラベルのことを調べたり、企画したりしています。
その中で、今の日本の観光業があまりにも、アクティビティ優先になっていることに、すごい懸念を持っています。もったいない・・・
「アドベンチャー」の主役は、筋肉ではなく「脳」なんだ
現在、世界的に定義されているアドベンチャートラベルの本質は、決して「身体的なスリル」そのものではありません。
ATTA(世界アドベンチャートラベル協会)が掲げる要素には「自然」「活動」と並んで「異文化体験」があり、その先にある真の目的は「自己変革(Transformation)」だとされています。
つまり、旅を終えた後に「自分の中の何かが書き換わっていること」。
これこそがアドベンチャーの正体です。
だとするならば、心拍数を上げることだけが冒険ではないということ。
僕は、「知的好奇心が震える体験」こそが、成熟した大人にとっての最高の冒険であると確信しています。
なぜ「身体を使うこと」ばかりが目立つのか
今、世の中に出回っているATのイベントは、圧倒的にスポーツ寄りのものが多いのが現状です。
提供する側も「分かりやすいアクティビティ」を用意し、参加する側も「体を動かすこと」を期待する。
しかし、この偏りが生んでいる最大の弊害は、「シニア層の切り捨て」です。
人生の経験を積み、深い知識を持ち、本来であれば「知的な刺激」を最も求めている層が、「自分には体力がないから関係ない」と、アドベンチャーの輪から外れてしまっている。
シニア層だけでなく、静かに思考を深めることを好む層にとって、身体的負荷の高さは「楽しみ」ではなく「障壁」になりかねません。
これは観光・旅行業にとって、あまりにも大きなマイナスです。
「知の冒険」という提案
僕が思うのは、「知的冒険(Intellectual Adventure)」という新しい旅の形を、もっと提案するということです。
例えば、北海道で考えると、こんな旅が考えられます
- 文学の冒険:
石川啄木の孤独な足跡を函館や釧路の風の中に追い、有島武郎がニセコの農場で抱いた理想と葛藤を、その土地の土の匂いと共に辿る。
原田康子の『挽歌』に描かれた霧の街の情景や、桜木紫乃が紡ぐ北の大地の剥き出しの人間模様を、実際の風景の中に身を置いて読み解くフィールドワーク。
それは、活字の中の物語が、自分の血肉となって立ち上がる体験です。
- 芸術の冒険:
イサム・ノグチや神田日勝といった世界的芸術家が北海道の広大な自然に込めた「静かなる哲学」や、阿寒の地に受け継がれるアイヌ文様の奥底にある精神性を、専門家との対話を通じて自分の中にインストールする旅。
ただ「作品」を鑑賞するのではなく、創作者の視点からこの大地の捉え方そのものを変えてしまう、知的な変革です。
- 歴史の冒険:
開拓の年表をなぞるのではなく、その陰で懸命に生きた無名の人々の「生活の記憶」や、数千年にわたり培われたアイヌの「共生の作法」に直接触れる。
厳しい寒さと対峙してきた先人たちの哲学を学び、現代の自分の価値観をアップデートする。
それは、土地に眠る魂との対話であり、自分自身の内面を耕す「精神の開拓」です。

例えば、釧路の幣舞橋で夕日を眺める時、ただ『綺麗だ』と思うのと、啄木の足跡や原田康子の物語を知ってから眺めるのとでは、その夕日の色は全く違って見える。
これこそが、知的冒険の醍醐味です。
「知識というフィルターを通すことで、景色が全く別次元のものに変わる」という体験は、北海道には無数に眠っています。
これらは、激しい運動こそ伴いませんが、脳は間違いなく「アドベンチャー状態」になります。
心地よい疲労感は、筋肉ではなく、未知の概念に触れた思考の痕跡として残るのです。
観光の未来を、もっと「知的」に。
「アドベンチャー」という言葉を、もっと自由に、もっと深く捉え直す必要があるんだと思うのです。
身体を動かすことが得意な人は、風を切り、汗を流せばいい。
しかし、知の探究を愛する人は、物語を歩き、思考を深める冒険に出ればいい。
どちらも、自分をアップデートするための「旅」であることに変わりはありません。
日本の豊かな自然と、重層的な文化。
これらを掛け合わせれば、日本は世界で唯一無二の「知的冒険の聖地」になれるはずです。
「もう年だから冒険なんて」と思っているあなたへ。
あなたの冒険は、まだ始まったばかりかもしれません。
なぜなら、知の冒険に定年はないのですから。
藤村 正宏
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