
小学校6年生のとき
僕は自由研究でモーリス・ユトリロを取り上げた。
今思えば、ずいぶん変わった子どもだったと思う。
普通なら昆虫採集とか、植物の観察とか、そういうものを選びそうな年頃だ。けれど僕は、パリの街角を描く画家に惹かれていた。
ユトリロの絵には、華やかさとは少し違う魅力がある。
白い壁。静かな坂道。人の気配はあるのに、どこか孤独。
賑やかではないのに、なぜか惹かれる。
子どもの僕は、うまく言葉にはできなかったけれど、あの絵の中に漂う「空気」のようなものが好きだった。
たぶん僕は、絵そのものを見ていたというより、その奥にある「気配」や「世界観」を感じ取ろうとしていたんだと思う。

この絵が好きだった
「コタンの小路」
その頃から、美術が好きだった。
ピカソ、モディリアーニ、マン・レイ、コクトー。
そして、もう少し大人になってから、デュシャン、ウォーホル、クリスト、モンドリアンのような現代アートにも夢中になった。
文学も好きだった。
吉行淳之介、梶井基次郎、夏目漱石、太宰治、芥川龍之介。
純文学の中には、人間の弱さや曖昧さや、言葉では割り切れない感情が詰まっていた。
一方で、ガストン・ルルー、クイーン、クリスティ、カー、クロフツのような推理小説も読んだ。論理の快感も好きだったのだと思う。
音楽ではジャズにのめり込んだ。
ジャズ喫茶「ジスイズ」に毎週のように通った。
暗い店内で、レコードの針が落ちる。空気が少し張りつめる。
そして、マイルスやコルトレーンやビル・エヴァンスが流れ出す。
あの時間は、僕にとって学校とは別の「もうひとつの教育」だった。
映画もよく観た。
中学生の頃に観た映画は、「ある愛の詩」「愛の嵐」「荒野の七人」「ベニスに死す」「パリは霧に濡れて」「ロミオとジュリエット」「レッドサン」「ゲッタウェイ」。
大作と言われている「十戒」「アラビアのロレンス」「風と共に去りぬ」「ジャイアンツ」……。
映画の面白さを知り、手当たり次第観た。映画館の暗闇の中で、僕は現実とは別の世界に何度も連れていかれた。
映像、音楽、セリフ、沈黙。
映画は、理屈ではなく感覚で人を動かす装置だということを、ずいぶん早くから体で知っていたのかもしれない。
今振り返ると、僕はずっと「文化」の中で遊んできたんだと思う。
でも、そのときは、まさかそれが仕事につながるなんて思ってもいなかった。
美術が好きなこと。
文学を読むこと。
ジャズを聴くこと。
映画を観ること。
それはただ、自分が好きでやっていることだった。
役に立てようなんて思っていない。
ビジネスに活かそうなんて、考えたこともない。
ただ、好きだから触れていた。
面白いから、時間を使っていた。
それだけだ。
けれど、大人になって経営の仕事をするようになって、はっきりわかったことがある。
ああ、あの頃に浴びていたものが、全部、今の仕事の土台になっているんだな、と。
多くの人は、経営を「論理の世界」だと思っている。
戦略。分析。数字。効率。再現性。
もちろん、それらは大事だ。
経営には現実があるから、数字を無視することはできない。
でも、それだけでは人は動かない。
どんな店にするのか。
どんな商品にするのか。
どんな言葉で伝えるのか。
どんな空気感をまとわせるのか。
どんな人として立つのか。
こういうことは、論理だけでは決まらない。
そこに出るのは、その人の美意識だ。
もっと言えば、その人がこれまで何を見て、何を読んで、何に感動して、どんなものを美しいと思ってきたか、だ。
経営は、結局、その人がにじみ出る。
同じ商品を扱っていても、
同じ業界にいても、
同じような立地で商売していても、
なぜか惹かれる店と、そうでない店がある。
その違いは、単なるノウハウではない。
その店や会社に、その人の「文化」があるかどうかだ。
文化というと、何か難しいものに聞こえるかもしれない。
けれど僕が言いたいのは、そんな大げさなことではない。
美術館に通え、ということだけでもない。
難解な文学を読め、ということだけでもない。
クラシックやジャズを知らなければダメだ、ということでもない。
そうではなくて、自分の感性を育てるものを持っているか、ということだ。
何に心が動くのか。
何を美しいと思うのか。
何に違和感を覚えるのか。
何に惹かれ、何に退屈するのか。
その感覚を、自分でちゃんと持っているかどうか。
これが、実は経営にものすごく大きく関わってくる。
たとえば、アートを見ていると、「正解は一つじゃない」ということがわかる。
ピカソとモディリアーニは全然違う。
モンドリアンとユトリロもまったく違う。
でも、それぞれが成立している。
それぞれに強さがある。
ビジネスも同じだ。
正解は一つじゃない。
むしろ、みんなと同じ正解を追いかけるほど、つまらなくなる。
独自性は、正解をなぞるところからは生まれない。
文学を読んでいると、人間はそんなに単純じゃないとわかる。
人は合理的に動かない。
矛盾もするし、弱いし、見栄も張るし、寂しさでものを買ったりもする。
マーケティングとは、人間理解だ。
人間を知らずに、売れる仕組みだけを学んでも、薄っぺらいものになる。
ジャズを聴いていると、即興の力がわかる。
予定通りにいかない面白さ。
その場で反応すること。
ズレること。
あえて崩すこと。
経営だって同じだ。
マニュアル通りでは届かない瞬間がある。
その場で空気を読み、判断し、表現する。
そこに、その人らしさが出る。
映画を観ていると、物語の力がわかる。
人はスペックではなく、ストーリーに心を動かされる。
どんな人が、どんな思いで、何をつくっているのか。
背景が見えると、人は興味を持つ。
ビジネスもまた、物語の編集なのだと思う。
こう考えると、僕がこれまでやってきたことは、ずっと一つにつながっている。
ユトリロの絵を見ていた少年。
文学を読み、映画館に通っていた中学生
ジャズ喫茶に通っていた青年。
その延長線上に、今の僕の仕事がある。
つまり僕は、マーケティングを勉強して経営コンサルタントになったというより、文化の中で育った感性が、結果として経営の仕事につながったのだと思う。
これは、すごく大事なことだ。
なぜなら今、多くの経営者が「役に立つこと」ばかりを追いかけているから。
すぐ使えるノウハウ。
すぐ成果が出る手法。
再現性の高い成功事例。
もちろん、それも必要だ。
でも、そればかり追っていると、仕事がどんどん痩せていく。
深みがなくなる。
余白がなくなる。
その人らしさがなくなる。
そして最終的には、誰でも言えることしか言えなくなる。
それは苦しい。
なぜなら、経営は本来、その人の人生がにじみ出る営みだからだ。
だから僕は、経営者ほど文化に触れたほうがいいと思っている。
アートでもいい。
文学でもいい。
音楽でもいい。
映画でもいい。
演劇でもいい。
建築でもいい。
庭園でもいい。
落語でもいい。
仕事に直接役立つかどうかなんて、いったん脇に置いておけばいい。
好きなものにちゃんと時間を使う。
心が動くものに触れる。
その蓄積が、やがてあなたの仕事ににじみ出る。
遠回りのように見えるかもしれない。
でも、実はそれがいちばん強い。
だって、最後に差がつくのは、ノウハウではなく、その人の「人間の厚み」だからだ。
僕の経営論は、たぶんユトリロから始まっている。
小学生の自由研究という、小さな入口から始まった。
でもその入口の先には、美術があり、文学があり、ジャズがあり、映画があり、演劇があり、そして仕事があった。
文化と仕事は、別々のものじゃない。
本当は、深いところでつながっている。
もしあなたが経営者なら。
あるいは何かを表現して生きている人なら。
ぜひ、自分の「文化」を持ってほしいと思う。
売上のためだけじゃない。
差別化のためだけでもない。
もっと根っこのところで、自分という人間を豊かにするために。
その豊かさは、必ず仕事に出る。
言葉に出る。
店に出る。
商品に出る。
人との関係に出る。
そして、そういうものに、人は惹かれる。
経営は、文化の表現なのだ。
僕は今、そう思っています。
藤村 正宏
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