
フィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』
<1889年>
スペックで差がつかない時代、最後に人を動かすのは?
若い頃、僕はニューヨークで暮らしていた時期があります。
休日に足を運んだニューヨーク近代美術館(MoMA)で、忘れられない出逢いがありました。
子どもの頃、釧路にあった父のアトリエで画集を開いては、ずっと憧れの眼差しで見つめていたあの絵――フィンセント・ファン・ゴッホの『星月夜』。その「本物」が、目の前の壁に掛かっていたのです。
作品の前に立った瞬間、息をのみました。
印刷された画集のページでは絶対にわからなかった、圧倒的な「絵の具の厚みと生々しさ」。
夜空に渦巻く星々、うねるイトスギ、光を放つ三日月。
絵の具は平らに塗られているのではなく、まるで彫刻のようにキャンバスの上にゴツゴツと盛り上がっていました。
パレットの上で丁寧に色を混ぜ合わせる時間すらもどかしかったかのように、絵の具のチューブから直接キャンバスに絞り出し、筆やペインティングナイフ、時には指先でそのまま力任せに塗りたくったような跡。
百数十年前にゴッホがキャンバスに向かって叩きつけた呼吸や体温が、いま目の前で脈打っているかのような錯覚を覚えるほどの凄まじい迫力でした。
37年という短い生涯の中で、ゴッホが本格的に絵を描いていたのはわずか10年足らずです。
その間に彼が残した油絵は800点以上、素描は1000点を超えます。
特に晩年の南仏アルルやサン=レミ、オーヴェル=シュル=オワーズの時代には、何かに憑りつかれたように、1日に1枚、あるいはそれ以上の驚異的なペースでキャンバスを埋め尽くしました。
なぜ、そこまでして描かなければならなかったのか。
当時のゴッホは、世間から見れば完全な「不器用な落伍者」でした。
画商の仕事はクビになり、伝道師としての道も挫折。絵を描き始めてからも、生前に売れた油絵はわずか1枚(あるいは数枚)だったと言われています。
弟テオからの仕送りに頼り、食べるものすら切り詰めて絵の具を買い、胃を痛め、精神をすり減らしながらキャンバスに向かい続けました。
もしゴッホが、「どうすれば世間に受けるか」「どうすれば売れるか」という損得勘定で動いていたなら、こんな生き方は1年も持たなかったはずです。
彼は、ただ目の前の夜空を綺麗に写し取りたかったのではありません。
夜の底知れないエネルギー、渦巻く感情、生きることへの渇望。
自分自身の内側から溢れ出して止まらない「狂おしいほどの熱狂」を、世界に向けて叩きつけずにはいられなかったのです。
後世の美術史家たちは、彼のこのスタイルを「表現主義の先駆け」と呼びました。
対象を客観的に再現するのではなく、「自分の主観的な感情や内面をキャンバスにぶつける」という新しい絵画の扉を、ゴッホはその尋常ではない熱量でこじ開けたのです。
「綺麗にまとまった企画」に、熱はあるか?
MoMAの展示室で感じたあの圧倒的な熱量を思い返すたび、いまのビジネスの現場で私たちが作っているものについて考えさせられます。
世の中に溢れている商品やサービス、広告やプレゼン資料の多くが、「あまりにも綺麗に均(なら)されすぎている」のではないか、と。
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誰からも嫌われない無難な言葉選び
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減点を恐れるあまり、エッジを削ぎ落とした商品企画
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ロジックやデータは完璧だけれど、つくり手の顔も体温も見えない提案書
たしかに、そうして作られたものは「スマート」で、失敗のリスクも少ないように見えます。
でも、受け取る側の心には、何のざわめきも残しません。
いまの時代、製品の品質や機能、テクノロジーの差なんて、あっという間に追いつかれ、縮まってしまいます。
スペックの比較表を見せられて「こちらの方が10%高性能です」「他社より少し安いです」と言われても、消費者の心はもう動きません。
合理的な正しさや機能の優位性だけで人を熱狂させることは、もう不可能に近いのです。
人が最後に買うのは、商品ではなく「熱狂」
そんなコモディティ化の時代に、ふと私たちの心を捉えて離さないものがあります。
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採算度外視で、信じられないほどの手間暇をかけて作られた一杯の料理
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店主の偏愛とこだわりが店内に溢れかえっている、ちょっと風変わりな個人商店
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プレゼンのロジックは拙いけれど、「どうしてもこれを届けたいんです!」と目を輝かせる若手の言葉
それはまさに、ゴッホがチューブからキャンバスに直接叩きつけた、あの絵の具の塊のようなものです。
「機能が良いから買う」のではなく、「この人の、この尋常じゃない熱に触れていたいから買う」。
人は、冷徹な数字や理屈で動くのではなく、誰かの本気の情熱に当てられて、心を動かされるのです。情熱は、論理よりもはるかに速く、深く他人に伝染していきます。
あなたが手がけているその仕事に、あなた自身の「熱」はこもっているでしょうか。
誰かの顔色をうかがって、安全な言葉で薄めてしまっていないでしょうか。
不格好でもいいと思う。
多少バランスが崩れていようと、周囲から「そこまでやる必要ある?」と呆れられようと、自分の「好き」や「届けたい」というエネルギーを、チューブからそのまま絞り出すようにぶつけてみる。
綺麗にまとまった100の正論より、たったひとつの剥き出しの熱量こそが、人の心を揺さぶり、時代を動かしていくのです。
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次回予告:第5話『タヒチへ逃げた銀行員が、本当に描きたかったもの』社会的な「成功」を捨てたとき、仕事は自分自身の「野生」を取り戻します。
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藤村 正宏
主宰 : エクスペリエンス・マーケティング
北海道釧路生まれ。明治大学卒。著書「モノを売るな!体験を売れ!」で提唱したエクスペリエンス・マーケティング(通称エクスマ)の創始者。経営者、ビジネスリーダー向けに「エクスマ塾」を実施、塾生はすでに1000名を超えている。著書は、海外にも翻訳され30冊以上出版。座右の銘「遊ばざるもの、働くべからず」
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