
カチコチの「常識」を溶かしてみると、新しい価値が立ち現れる
枯れたオリーブの枝に、ぐにゃりと垂れ下がる懐中時計。
直角のテーブルの端から、まるで干したタオルのように溶け落ちそうになっている時計。
そして、砂浜に横たわる怪物のような奇妙な顔のまぶたの上にも、柔らかくひしゃげた時計が覆いかぶさっている――。
シュルレアリスム(超現実主義)の奇才、サルバドール・ダリが描いた代表作
『記憶の固執(柔らかい時計)』
ニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵されているこの絵を前にすると、誰もが奇妙なめまいに襲われます。
硬いはずの金属の時計が、なぜこれほどまでに柔らかく、ぐにゃりと溶けているのか。
この歴史的傑作が生まれたきっかけは、ある夏の夜の、あまりにも日常的なひとコマでした。
頭痛に悩まされていたダリは、妻のガラが友人たちと映画館へ出かけるのを見送り、家でひとり留守番をしていました。
夕食のテーブルに残されていたのは、ぬるい夏の室温でトロトロに柔らかく溶けかかった、一切れのカマンベールチーズ。
そのドロリとしたチーズを見つめていたダリの脳裏に、突然、電撃のようなインスピレーションが走ったのです。
「硬い物質が、チーズのように溶けてしまったらどうなるだろう?」
彼はすぐさまアトリエへ駆け込み、描きかけだったカダケスの荒涼とした海岸風景のキャンバスに向かいました。
そして、わずか2時間ほどで、あのカチコチであるはずの金属の時計を、トロトロのチーズのように柔らかく塗り替えてしまったのです。映画から帰ってきたガラはこの絵を見て、「一度見たら、二度と忘れられないわ」と呟いたと言われています。
時計とは、近代社会における「厳格なルール」「冷徹な論理」「正確な時間」の象徴です。
ダリはその絶対的なシンボルを、夏のチーズのようにぐにゃりと歪めてみせました。
アイデアとは「まったく違うもの」の掛け合わせ
「時計」と「カマンベールチーズ」。
本来なら何の関係もない、真逆のふたつを組み合わせた瞬間に、美術史に残るあの傑作は生まれました。
結局のところ、アイデアや創造力と呼ばれるものの正体は、ゼロからまったく新しいものを生み出すことではありません。
「すでに存在している、一見すると全く関係のないもの同士を組み合わせてみる」。その接続の驚きにこそ、創造性の本質があるのです。
だからこそ、僕たちは日頃から「何か面白い組み合わせはないか?」という視点を持って、世の中を面白がり、勉強し、遊ぶように観察し続ける必要があります。
僕自身、マーケティングコンサルタントとして仕事を続けてくる中で、いつも自分の「好き」や関心のある分野を、ビジネスの現場と掛け合わせてきました。
『進化論とマーケティング』
『映画で気づくビジネスの大切なこと』
『量子力学的なマーケティング』
『石川啄木と正岡子規はインフルエンサーだった(SNSマーケティング)』
『F1から気づく、弱みを強みに変える方法』
一見すると、ビジネスやマーケティングとは遠く離れた世界に見えるかもしれません。
けれど、生物の適応戦略(進化論)も、映画の脚本構造も、目に見えない素粒子の振る舞い(量子力学)も、明治の文豪たちが短歌や俳句で巻き起こした熱狂も、F1チームが制約の中で見出す勝機も――。
視点を変えてビジネスと掛け合わせてみると、机上のマーケティングの教科書には絶対に載っていない、生々しく本質的なヒントがザクザクと湧き出てくるのです。
そして、いまお届けしているこの連載もまさにそうです。
近現代のアートや美術史というレンズを通して、これからのビジネスのあり方を読み解いていく試みそのものです。
「硬いアタマ」で、同じ答えを探していませんか?
ダリの溶けた時計を思い浮かべるとき、僕たちの仕事やビジネスの現場にある「硬直」について考えさせられます。
僕たちは日頃、「物事はこうあるべきだ」という硬い前提に縛られすぎていないだろうか、と。
「この業界の商品は、こういう価格帯で、この形が当たり前だ」
「ビジネスとは、厳格で、合理的で、真面目なものでなければならない」
「仕事の時間は、効率よくスケジュール通りに詰め込むのが正義だ」
もちろん、ルールや効率は大切です。
けれど、時計のようにカチカチに硬まった「業界の常識」の中でどれほど一生懸命に頭をひねっても、出てくる企画は他社の焼き直しにしかなりません。
競合も同じ業界誌を読み、同じデータを眺めているのだから、似たような答えにたどり着くのは当然です。
「もっと良いアイデアはないか」「新しい企画はないか」と悩んでいるとき、足りないのは努力や情報量ではなく、「まったく違う領域から、チーズを持ってくる柔らかさ」なのです。
あなたの「好き」を、ビジネスに掛け合わせてみる
もし、ダリが「時計は硬い金属で描くものだ」という常識にとらわれていたら、あの世紀の名画は生まれませんでした。
ビジネスにおいても、ブレイクスルーを起こすユニークなコンセプトは、いつも「当たり前の前提を溶かした瞬間」から始まります。
あなたの趣味、偏愛しているカルチャー、休日に夢中になっていること、子どもの頃から大好きな本や音楽。
それらを「仕事とは関係ないプライベートなもの」として切り離してしまうのは、あまりにももったいない。
あなたの好きなものを、いまのビジネスのど真ん中に、思い切って掛け合わせてみるのです。
「そんなの、うちの業界ではあり得ないよ」
「ビジネスに関係ないじゃないか」
周囲からそう呆れられたときこそ、ニヤリと笑うチャンスです。
誰もが「絶対に硬い」と信じ込んでいる常識を、夏の日のカマンベールチーズのように柔らかく溶かしてみる。
正解のない時代を面白く生きる秘訣は、カチコチの現実をそのまま受け入れることではありません。
あなた自身のやわらかな好奇心で、全く違う世界を軽やかに結びつけ、新しい現実を創り出していくことなのです。
- 次回予告:
第12話『パイプを描いて「これはパイプではない」と言い張る罠』
商品そのものと、お客様の頭の中にある「言葉」のズレをハックするビジネスの視点へ。
藤村 正宏
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