モノそのものを売るのをやめたとき、本当の「価値」が現れる
キャンバスに描かれているのは、どこからどう見ても、見事なまでに写実的で上品な一本の「喫煙パイプ」です。
木目の艶やかな質感、美しいボウルのカーブ、黒く光る吸い口。
誰もが「ああ、パイプの絵だな」と納得するはずのその絵の下に、美しい飾り文字で、フランス語の奇妙な一行が丁寧に添えられています。
「Ceci n’est pas une pipe.(これはパイプではない)」
「……は? いやいや、どう見てもパイプじゃないか!」
ベルギーのシュルレアリスムの巨匠、ルネ・マグリットが1929年に発表したこの作品『イメージの裏切り』を前にすると、誰もが思わず心の中でツッコミを入れたくなります。
パイプを完璧に描いておきながら、自分から「パイプじゃない」と言い張るなんて、一体どんな悪ふざけなのか、と。
けれど、眉をひそめる批評家たちに対して、マグリットは平然とこう答えました。
「もし私が『これはパイプである』と書いたなら、それこそ嘘をついたことになる。だって、そうだろう? この絵にタバコの葉を詰めて、火をつけることができるかね? できないはずだ。これはパイプそのものではなく、ただのキャンバスの上に塗られた絵の具――つまり『パイプのイメージ(記号)』にすぎないのだから」
言われてみれば、まったくその通りです。
僕たちが「パイプだ」と信じ込んでいたものは、本物のパイプではなく、パイプの形を模した「絵」であり、僕たちの頭の中にある「パイプという言葉や概念」が勝手にそう認識していただけだったのです。
マグリットが仕掛けたこの知的ないたずらは、僕たちが普段いかに「実物そのもの」ではなく、頭の中にある「言葉やイメージのフィルター」を通して世界を見ているかという、人間の認識の急所を鮮やかに突いたものでした。
「モノそのもの」を一生懸命に売っていませんか?
マグリットのこの痛烈な問いかけは、僕たちのビジネスの現場に、もの凄く深く、本質的な示唆を与えてくれます。
それは、「僕たちはお客様に、商品そのものを売っているつもりになっていないだろうか?」ということです。
たとえば、
時計屋さんは、「時を刻む精密な機械(金属の塊)」を売っているのか?
カフェは、「焙煎した豆から抽出した黒い液体」を売っているのか?
温泉旅館は、「温かいお湯が湧く浴槽と、一泊分の部屋」を売っているのか?
もし、モノや機能そのものを売っているのだとしたら、時計は一番正確で安いデジタル時計が最強のはずだし、コーヒーは一番コスパの良い缶コーヒーで十分だし、宿は寝るだけのビジネスホテルで事足りるはず。
でも、現実はまったく違う。
お客様がお金を払い、価値を感じているのは、物理的なモノそのものではありません。
その商品やサービスを通じて得られる「意味」や「関係性」、そして「心揺さぶられる体験(物語)」です。
「これはパイプではない」から始まる、価値の再定義
マグリットが「これはパイプではない」と宣言したように、僕たちも自社の商品やサービスに対して、一度こう問いかけてみる必要があります。
「これは、単なる〇〇ではない」と。
高級時計は、時計ではない。
それは「これまでの自分の努力を誇る証」であり、「次のステージへ進むための自信」を売っている。
カフェで出すコーヒーは、ただの液体ではない。
それは「仕事の合間にほっと一息つける自分だけの時間」であり、「大切な人とゆっくり語り合える心地よい空気」を売っている。
温泉旅館の滞在は、ただの宿泊ではない。
それは「日々のストレスから解放され、家族と笑顔で乾杯するかけがえのない思い出」を売っている。
商品スペック、機能、成分、価格・・・。
そうした「モノの説明」ばかりを必死にお客様にプレゼンするのは、絵に向かって「これは木製のパイプです! 頑丈です! 安いです!」と連呼しているようなものです。
お客様が本当に買いたいのは、そのモノを手に入れた先にある「どんな素敵な時間を過ごせるか」「どんな自分になれるか」というイメージです。
「意味」を届けるのが、僕たちの仕事
コモディティ化が進み、どんなモノでもボタンひとつで手に入る今の時代、「モノそのものの機能」だけで選ばれることは極めて難しくなりました。
だからこそ、僕たちはマグリットのように、世界を一段深い視点で見つめ直さなければなりません。
あなたが日々お客様に差し出しているものは、物質としては何であれ、本質的には「どんな意味」を持っているでしょうか。
お客様の毎日に、どんな小さな喜びや、安心や、ワクワクを届けているでしょうか。
「モノ」を売るのをやめて、「意味や物語」を届けるビジネスへ。
「これは、ただの商品ではない」という問いから、あなたとお客様とをつなぐ、温かく豊かな新しい関係性が動き出します。
- 次回予告:第13話『床にキャンバスを広げ、絵の具を撒き散らしたポロック』
事前に完璧な計画を立てるのをやめ、偶然とノイズを味方につけるビジネスのダイナミズムへ。
藤村 正宏
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