僕は何を残せるのだろう
藤村流経営者塾の初日、自分で話していて、こんなことを思った。
「ぼくなんか、たいしたことしてないし。」
「お金も地位もないし、誰かの役に立ってるとも思えない。」
そんなふうに、人生を“ちいさく”見てしまうことって、ありますよね。
でも、ある日ふと、こんな問いがよぎるんです。
「自分がいなくなったあと、何かを残せるんだろうか?」
内村鑑三という人
明治の終わりごろ。キリスト教を信じながら、日本人としての誇りを持ち、
生涯をかけて「ほんとうの信仰と、ほんとうの生き方」を伝えようとした人がいました。
彼の名前は、内村鑑三(うちむら・かんぞう)。
彼が若い学生たちに語ったスピーチが、今もなお心を打つのは、
**「立派な人じゃなくても、誰でも後世に“しるし”を残せるんだよ」**という、
やさしくも力強いメッセージだったからです。
たとえば「財産」を遺す人がいる
お金を稼いで、子どもや社会に遺す。
それはもちろん立派なこと。
芸術家は作品を遺す。
人々の生活に潤いを与える美術や音楽など。
学者は知識や研究を遺す。
社会がより良くなることに貢献する。
けれど、みんながそれをできるわけじゃない。
じゃあ、財産がない人は、何も遺せないのか?
──そんなことはない、と内村は言います。
一番の“遺物”は「勇ましい生涯」だ
勇ましい、と言っても、戦争や冒険の話ではありません。
・お店を潰しかけたあとも、再び笑顔で店を開けた家電屋さん。
・障害者の娘の介護を40年も続けて、ひとことも愚痴を言わなかった人。
・毎朝、ゴミ置き場を誰より先に掃除してたおばあちゃん。
こういう人たちの背中って、目立たないけど、忘れられない。
その生き方そのものが、“何かを受け取った人”の心に残るんです。
人生は、あとに続く誰かへの「ヒント」になる
たとえば、あなたがつらい時期を越えて、
笑えるようになったこと。
何気なくやっていた親切が、誰かを助けていたこと。
踏ん張って続けてきたことが、誰かに届いていたこと。
それって、自分では気づかないまま、「見えないバトン」を渡していたのかもしれません。
有名じゃなくてもいい。目立たなくてもいい
「わたしはわたしの仕事をするだけ。
その人生が、あとに続く誰かの“光”になるなら、それで十分。」
内村鑑三が言いたかったのは、きっとそういうこと。
遺すものがあるから、人は今をがんばれる。
今をがんばるから、自然と何かを遺していける。
後世への最大遺物は、「あなたらしく生きた証」そのもの。
それがたとえ、大きなことじゃなくても。
「こんなふうに生きていいんだよ」って、
未来の誰かに教えてくれるものなのです。

藤村 正宏

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